少し昔の昭和30年代、40年代頃、今の「市立くすのき幼稚園」の場所は「済生会泉南病院」だった。そしてその前、まだ病院が無かったころ、当時の地図に記された南海バスの停留所名は、「岡前(おかまえ)神社前」と表示されていた。
そして現在はというと、市販の地図やネットマップでは、「岡前神社」と漢字表記されているだけが多く、私が検索した中では唯一「マピオン」で「おかぜんじんじゃ」となっているのみである。さて、泉南市樽井2丁目5-2にある当該神社は何という名称の(何と読む)神社なのだろうか?。もちろん、当神社は今も「素戔嗚尊(スサノオノミコト)」を祀る「岡前神社」なのだが・・・・・。かなり以前になるが、市に問い合わせても分からず図書館2階の郷土史本コーナーを調べても分からなかった。
近世から近代初期に、3000人規模の巨大な庄宮座・国市座がもたれた場所に近い関係から、信達庄13カ村、金熊権現宮の国市座との関わりを考えていたが、いくら調べてもこれとの関わりは無かった。そのようなことで、根来街道筋に今もたたずむ当社の謎を、私は何時か解きたいと思っていた。
何年か前、ある団体の街歩きで、私は泉佐野市の日根神社拝殿に至る境内社群の中に「岡前神社」を発見した。そして、社務所に駆け込んで頂いた「日根神社由緒略記」を見ると、「合祀社」として、明治41年の一村一社令によって日根野村の集落毎にあった五つの社が、今も日根神社内に本殿をもつ境内社として存在し、それぞれの神社ごとに現在も宮座行事を行っていることを知った。五つの社の中に『「岡前神社」、旧俵屋村の神社。祭神は素戔嗚命。』と記されているではないか。
私の長年の疑問は一挙に晴れた。若いころは「俵屋新田」に関する知識に乏しかったが、そのころは「国市場」は俵屋新田村であったことの知識があったためである。そして、(日根神社の)岡前神社の場所に戻ってみると、神社前の手水鉢に古くなって読みづらいものの「牛頭天王」とはっきりと記されているではないか。私の心の中は新しい発見をしたことの満足感で一杯だった。
その時は「岡前神社」の読みや呼び名までは分からなかったが、後日、日根神社の宮司さんに聞いたところ、詳しくは分からないが、古くからの俵屋の人たちは「オカザキさん」と呼んでいる人もいるとのことであった。「岡前=オカザキ」とは・・・・、私に更なる疑問解決の大きな課題が発生したのであった。
明治維新による社名・祭神変更
さて、俵屋新田村について、詳しく解き明かしてくれた「新修泉佐野市史、通史編、近世」の57ページの記述では、「村民の紐帯としての社寺」として、「牛頭天王社は正保4(1647)年に古社を再興したとする。」と記され、俵屋新田村の草創期から存在していたことが分かる。また、国市場の岡前神社にも、「牛頭天王」を祀っている石の磐座(いわくら)があるため、おそらく俵屋の「牛頭天王社」を江戸時代に勧請したものと推定されるのである。
その後、明治維新による「神仏分離令」は京都祇園社を「八坂神社」とし、祭神を牛頭天王から「素戔嗚尊」に変更するなど、社名と祭神を変更することを広範に行った(例:大苗代、祇園牛頭天王社→一岡神社)、俵屋の牛頭天王社も「岡前神社」と変更され、分社たる国市場もそれにならったものと思われる。その後、俵屋の岡前神社は明治41年に日根神社に合祀されたが、同年に国市場は樽井村に編入されたため、神社合祀の対象からもれたものと思われる。少なくとも樽井にあった他社のように茅渟神社に合祀された記録は見当たらない。
そして重要なのは、俵屋の宮座は今も日根神社内の岡前神社で営まれており、国市場の岡前神社においても、座株をもつ人たちによって今も運営されていることである。(この点は地元の方から聴取り。)
うららかなある日、旧俵屋新田村の中心地である泉佐野市俵屋を探索した。そこには岡前神社(江戸時代の牛頭天王社)の跡地に「俵屋町会館」が建ち、その向かいに合祀後残った灯篭等が保存されている。今も泉州16カ村に飛び地を持った俵屋新田村のレガシーが残っており、付近の旧家の人らしい男性に「岡前神社」の読み方、呼び名を聞くと「オカザキ神社というんや」と返って来た。確かに「前」は「さき」とも読む。オカザキの謂われまでは分からないが、「オカザキジンジャ」に違いないのである。
(令和7年5月10日追記)
岡前神社の読みが「おかざきじんじゃ」であることを証明できる文献を発見しましたので追記いたします。
『ふるさと探訪』(「昭和60年3月発行」「原稿執筆者 溝端常次郎」「編集と発行 泉佐野市市長公室 広報広聴課」「印刷 (株)近畿出版印刷」)です。市広報に掲載したものを編集した冊子のようです。この冊子の50P、下段、「岡前神社と安養寺」のなかに「氏神は「岡前神社」と呼び、・・・・」とあり、岡前に(おかざき)とのルビが付されています。
今から40年前に発行された冊子ですが、私の気持的には「史料」と呼びたい一冊です。

