(和歌山市立博物館 図録「秀吉の日本三大水攻め」から太田城水攻図)
上記の絵図は、和歌山市立博物館、平成11年度秋季特別展「秀吉の日本三大水攻め」からいただいたものです。
⚫️海津一朗先生(現和歌山大学名誉教授)は「太田城水攻め」の意味を、
『中世紀州の地には、熊野三山、高野山金剛峯寺、根来寺、日前国懸神宮など宗教勢力のもとに地侍連合による地域自治が行われていた。ポルトガル人イエズス会宣教師のルイス・フロイスは、「紀州の地には四つ五つの共和国的な存在があり、いかなる権力者もそれを滅ぼすことができなかった」と評している。大名の領国に対して、宗教的な地域自治連合を惣国ないし国一揆と呼んだ。紀州惣国一揆は、加賀一向一揆とならび、豊臣(羽柴)秀吉権力に対して抵抗し続けた「中世最後の惣国」であった。
1585年(天正13)秀吉は、大軍を率いて紀州に侵攻し、圧倒的な軍事力によってまたたくまに根来寺・粉川寺・日前宮など紀ノ川筋を制圧し、紀南地方に軍を進めた。この時、紀州惣国一揆の自立派は、日前宮の鎮座する宮郷太田の地に結集して、最後の抵抗をこころみた。秀吉は刀狩令を発令して太田の開城を求め、大軍によって包囲した。
近年刀狩令は、自力救済の暴力から中世民衆を解放する平和令として注目されている(藤木久志「刀狩り」岩波新書参照)。太田の決戦は、中世を象徴する宗教的な民衆武力と、兵農分離の近世秩序とが、正面から闘いあった日本史上のクライマックスである。最後の抵抗を試みる惣国一揆に対し、この時秀吉は、前代未聞の大仕掛けで挑戦する。紀ノ川の人工氾濫によって敵本拠を水没させるという「太田城水攻め」であった。
この水攻めの後、首謀者53名(51とも)は処刑され、太田は放火・城破り(しろわり)された。あらたに和歌山城が築城されて、兵農分離により城下町が再編され、中世惣国の自治組織は徹底的に破壊された。この意味で「太田城水攻め」は、中世の終焉を象徴する事件であった。・・・・・』と記されています。
(海津一朗編(清文堂)「中世終焉 秀吉の太田城水攻めを考える」中の「「秀吉の平和」と現在」から。)
(羽柴秀吉朱印状 天正13年(1585)3月27日付 前田玄以宛)
⚫️さらに、海津先生は同本中の「コラム 刀狩令が太田攻めで発令されたことの意義」において、
『ここ20年ほどの歴史学会において、豊臣秀吉の平和令(惣無事令)の評価が大きな争点となったことは、研究者の多くが認めるところであろう。1588年発布の刀狩令はそのような平和令の中でももっとも中核的なものであった。かつては、寺社や地侍たちが土一揆を起こせなくするために「大仏を作る」と民衆を騙して武装解除した、などと説明されていた。
しかし、日本の中世社会が、民衆による武装を当然とした自力救済の秩序をもつことが明らかになるにしたがい、秀吉にいたる統一権力側が法による救済を目指していたことが明らかになった。民衆から大名にいたるまで、各階層ごとに平和令が発令されて、武力による紛争解決が禁止された。これをもって研究上「秀吉の平和」と呼ばれた。
そのような秀吉の刀狩令が、史料上はじめて発令されたことが確認されるのは、1585年の紀州一揆攻めであった。根来・雑賀惣国の勢力が、和泉・紀州境界域に多数の「百姓持タル城」を構えて交戦したが、秀吉軍はこの諸城を制圧して城破りしていった。この戦後処理の過程でも、刀狩令が出された微証があるが、確実な初見は、根来・雑賀惣国の最後の牙城となった太田城を攻めた際、水攻めに先立つ鹿垣の包囲で発令された刀狩措置である。
播磨良紀氏がはじめて紹介した史料編の羽柴秀吉発給文書である。3月27日の時点で、「雑賀太田に逃げ籠った一揆張本は一人も漏らさず干し殺しにし、そのほかの地百姓らは、助命して鉄砲・腰刀以下を取って安堵する(帰村を許す)」と命じた秀吉朱印状である。さらに太田城の開城した4月22日には、三か条からなる刀狩令が発令された。播磨氏が原刀狩令(刀狩令の原型)と呼んだように、三年後に出されることになる1588年全国刀狩令と瓜二つの法令だった。
宗教権力による武装自治から、民衆を救済・解放するという秀吉の政治選択は、紀州の地で明確な像を結んだことになる。その意味で、紀州は「秀吉の平和」、すなわち日本の近世社会の発祥の地であり、それに抵抗した中世終焉の地だったことになる。・・・・・』とおっしゃっています。
⚫️以上が、「海津一朗編(清文堂)「中世終焉 秀吉の太田城水攻めを考える」」の紹介ですが、記事を書きながら今の世界情勢となにかよく似ているな〜〜。と思ってしまいます。やはり、いつの時代も戦争・武力でしか平和な時代はつくれないのでしょうか・・・・・。その意味では秀吉はやはり単なる「武将」ではなく、「近世300年の平和」を拓いたすごい政治家なのだと思ってしまいます。
⚫️さて、今回紹介した「天正13年(1585)3月27日付 前田玄以宛 羽柴秀吉朱印状(日本最初の刀狩令)」は泉南市のある寺院が所蔵されているのはご存知でしょうか?
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