続、「ゆきりの祖」の史実性の検討
「ゆきりの祖」伝承の史実性の検証は、「義民小平次」伝承の史実性の問題に飛び火したかたちとなりましたが、小平次伝承の方は昭和10年に顕彰碑が建立され、同年に岡部子爵や斎藤元首相が来泉し新聞等で大々的に報道されて以降、様々な形で泉州の郷土史の中で語られ研究されてきました。
昭和53年には、当該伝承を題材にした中野光風作の現代小説「和泉国馬場村騒動 義民小平次」が書かれ、小説の中で主人公が史実を探求するという形で検討がなされました。
さらに昭和62年の「泉南市史通史編」や、昭和64(平成元)年の郷土史家、谷美光氏の「おのさと第3集、馬場村小平次考」では、市内各所に眠っていた「古文書」の翻刻、読解を通じて、実は主人公は「小平次」ではなく小平次の先祖の「久助」であり、事件があった時代も「宝暦」年間から大きく(約120年も)遡った「寛永」年間であったことが明らかにされたのです。この二つの歴史研究は今日では当たり前になっている「史料実証主義」に基ずく研究として高く評価できるものです。(久助が村人の名代として犠牲になったことは事実ですが、その原因とされる事実は「出入」としか分っていないのです。)
以上のように、ゆきりの祖伝承における「若い頃に尊敬した同時代人の小平次」という物語構成要素が、小平次伝承の研究結果と整合しないことになり、ゆきりの祖伝承の創作性を現す結果となってしまっているのです。(久助の子孫の小平次は宝暦当時に実在しています。)
なお、ゆきりの祖伝承に関係する辻井利左エ門と岡部長備に関係する事績を、「岸和田市史」と「泉南市史」でも調べてみましたが、私が調べたかぎりにおいて関連する記載はありませんでした。

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