2024/12/27

泉南歴史トピックス3ー⑤ 続々、ゆきりの祖の史実性の検討



道光寺池
泉南歴史トピックス3ー⑤ 

続々、ゆきりの祖の史実性の検討

 さて、岸和田市史、泉南市史に「ゆきりの祖」伝承にかかる、辻井利左エ門と岡部長備に関連する記述がないことは先に述べたが、「泉南市史」には当該伝承に登場する「道光寺池」に関する中村(岡中)・幡代・馬場三か村の水利用について取り上げた記述がある。市史通史編、近世、第2章近世村落の構造と発展、「三村組合の水利用」(299~300P)である。
  
 当該記述に関連する史料は、市史史料編の399~400P「12  三村組合池争論に付口上書」(年未詳羊年六月 向井勘四郎氏文書)と「13  三村井落の儀に付口上書」(年未詳午年六月 根来宗次郎氏文書)である。

 ⑫はその年の水不足が原因で、三か村最上流の岡中村と幡代・馬場村の村民が道光寺池への放流をめぐって口論打鄭(こうろんこうちゃく=言い争い、叩き殴ること(筆者))した結果、岡中の庄屋・年寄が藩役人に訴え述べた口上書である。一方⑬は岡中・幡代・馬場三か村の庄屋・年寄が藩の水奉行に対し訴えた文書で、三か畑(葛、樟、童子)や金熊寺・六尾・牧野三か村の水利用の言い分に対し、自分たちの主張を訴えているものである。

市史通史編では、年未詳の両文書を翻刻、読解した上で岡中・幡代・馬場三か村の水利用について『少なくとも、中村、幡代村、馬場村は、三か村で水利用の組合を結成していたものの、相互の利害関係を内にはらむと同時に、上流六か村に対しては共同一致して対処していたことがわかるのである。』としめくくっている。


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