2026/01/09

幕末・明治と「何が似てきたと思うのか」




泉市歴ブロブの「草莽崛起(そうもうくっき)!。中瑞雲斉立つ。」(「草莽崛起」と略す)は、ブログ開設以来最高の閲覧数を記録しました。草莽崛起はこちらから。

 見ていただいた方々から、(12/25追加④)記事に記した、『瑞雲斎が京都に出て活動した時代と、私たちが現在(2025)遭遇している時代が非常に似かよってきている』、『これについては誤解があったらいけませんから、また何かの機会に言葉で説明いたします。』と書いたことについて、「何が似てきたというのか?、誤解は常にある。書くべきだ。」とお叱りを頂戴しました。

 そう言われれば記事を発信する限り、見ていただく方によって取り方は様々です。私の「歴史」に対するスタンス、歴史を見つめる立ち位置は、『「戦前の皇国史観」や「戦後一時期全盛となった唯物史観」のように「最初に(考え方、思想に基づく)結論ありき」ではなく、歴史をありのまま見つめたい』と思っていることを表明して、「何が似てきたと思うのか」ということについて書きたいとおもいます。


◼️厳しい安保環境

 瑞雲斎が京都に出た時代(所謂、元治元年前後、広く幕末の頃)と現在が何が似てきたか、これは一言で言えば「日本の厳しい安保環境」です。私達は中学、高校で(大学でも専攻しなかったら)日本史の所謂「近現代史」を殆ど学んでいません。よく学年度末までに、近現代史までたどり着かなかったことが原因と言われますが、教師や学校・文部省としてこれほど無責任なことはないでしょう。

 皆さんは幕末(文久元年(1861)2月)の「ロシア軍艦対馬占領事件」(ポサドニック号事件)をご存知でしょうか?。黒船来航は有名ですが、これは対馬の浅茅湾の一角の「芋崎」というところに、ロシア軍艦が勝手に上陸して、兵舎や港まで作ってしまって半年間も不法に滞在した事件です(ここからも)。

 この事件はイギリス艦隊の干渉もあって、8月にようやく対馬から退去しましたが、これは幕府の外交能力の限界と列強間の対立が、日本の領土問題に直接影響を与えた出来事として、幕末動乱期の重要な事件の一つです。そして、現代でも日本の島嶼部(とうしょぶ)の防衛問題は深刻になってきています。

草莽崛起」では「すなわち軍備増強して、艦隊・大砲を備え、蝦夷からカムチャッカ・オホーツク、琉球・朝鮮、満州・台湾・フィリピンへと「進取の勢」を示すことが重要であり、その上で辺境を守れば国を保つことができる、とする。それがなくては諸国が争い集まる渦中にいて衰えない国は幾つもない、必ず衰えてしまうという吉田松蔭「幽因録(の現代訳)」を紹介しましたが、これは欧米列強の浸出に対峙しうる政略として、危機の時代を生きぬくために松蔭なりに考えた認識を示すものでした。


◼️そして「主権線」と「利益線」

 さて、吉田松陰の門下生である山県有朋は、1890年の第一回帝国議会における総理大臣演説「外交政略論」で、欧米列強に対峙するなかで国家独立の方途を確立するための方法論を提示しました。それは、

 国家の主権が及ぶ「主権線(領土)」を守るだけでなく、その安全に密接に関わる周辺地域(特に朝鮮半島)を確保・防衛し、日本の独立と安全を維持しようとする考え方です。清国との対立の中でロシアの南下を阻止し、朝鮮の中立化を図るための防衛戦略とされたのですが、次第に強硬路線へと転換して軍事力行使も辞さない方向へ向かいました。

 つまり、主権線の安全に直結する、国境線外の周辺地域を日本の「利益線」とみなしたのです。この利益線論は、日本の大陸進出政策の先駆けとなり、日清・日露戦争、そしてその後の対外政策に大きな影響を与えたのです。しかし、日本が領土外に利益線を求めることで、他国との衝突を招き、最終的には敗戦へと繋がる道筋を作ったという評価もあります。


 この「利益線」論と同様な論理が、世界の各所で今また活発になっていると思うのが、私のもう一つの「似てきたと思う点」です。しかし、主権線外に位置する周辺地域や国々にとって、これほど迷惑なことはありません。今日の世界で通用させてはいけない理屈だと思うのです。

 それにしても、利益線というかどうかは別として、台湾有事は日本にとっても重大な事態だとは思いますが、日本人はもうあのバシー海峡を忘れたのでしょうか。わたしたちは二度と「バシー海峡」を慟哭の海峡にしてはならないのです。人の命を何よりも大切にし、殺されることも殺すことの恐ろしさも十分知っている私達は、少し遠回りすることを知っています。


(1/23追加)

◼️そして「万国公法」(国際法)について

 もう一つ、吉田松陰の門下といっても間違いではない桂小五郎(後の木戸孝允)の明治元年(1868)11月の日記では、万国公法は主権国家間の調整統合をはかるためのもので、キリスト教文明を基盤とした規範体系であるとみなしたうえで、「兵力調わざるときは万国公法も元より信ずべからず。弱に向かいて候ては大いに公法を名として利を謀るもの少なからず。ゆえに余、万国公法は弱国を奪う一道具」と論断しています。

 国際法は欧米列強の浸出に向き合う日本人にとって、「キリスト教国、白人種、ヨーロッパ州」という特権掌握国民が己の権利を主張してアジア・アフリカを植民地とするためのものでしかなかったと言えるのかも知れません。


 また、明治中期に新聞「日本」を創刊し、文豪正岡子規を支援した陸羯南(くが かつなん)は、「原政及び国際論」のなかで「国際法なるものは実に欧州諸国の家法にして世界の公道にはあらず。この家法の恵を受けんと欲せば、国を挙げて欧州に帰化するよりほかに復た手段あるべからず」と論難します。


 このように、「開国和親」をかかげて文明化による近代国家形成を、万国公法の秩序の下で、欧化によって目指さなければならなかった「大日本帝国」の選択はある意味必然だったのかもしれません。しかし、その後(130〜150年後)の世界の歴史は所謂「国際法」を大きく発展させてきました。(国際法の歴史はここから


 幕末の日本の状況は、まさに木戸孝允が書いたように「キリスト教国・・」という特権掌握国である欧米列強の中での、植民地化の対象であるアジアの小国であったわけですが、現在の世界の情勢はまるで幕末・明治の時代に先祖返りしたように、国連の安保常任理事国である大国が、これまで人類が到達してきた「国際法」のルールを自ら踏みにじるようになってきています。

 現在の国際法をめぐる世界の状況も、これまた幕末・明治と非常に「似てきた点」なのですが、ひとつ大きく違う点があります。現在の日本はアジアの小国ではないという点です。そして「日本国憲法 前文」をもって国際社会を生きる日本は、今こそ率先して国際法を遵守し、国連を中心とした国際協調の一翼を十分に担うべきではないでしょうか。


 




 


 



 


 


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