―N氏の論考をフォローする新たな史料―
前回の泉南歴史トピックス 1-②で泉南市民歴史倶楽部のN氏の論考を紹介したが、論考中「信達王子(信達一ノ瀬王子)」の当該地区とされる岡中地区(明治 17 年までは日根郡中村)の歴史愛好者間では、N氏の調査結果を裏付けるさらに確かな別史料を有している。村の先輩にあたるY氏から写しをとらせていただいた寺文書(仮に「林昌寺文書」)の中には、村役(庄屋、年寄)から岸和田藩寺社奉行あてに提出した「元禄四年未二月十八日寺社御改帳控」(年貢の村高から「除地」扱いしてもらうための届出の控え)があり、この中で明確に「王子庭」が届出されているのである。そして近世を通じて何年かに一度、各村から寺社奉行あてに提出され集約されたものが、いわゆる「和泉国寺社覚」(和泉志、昭和 32 年、所収)なのであり、 もちろんここには日根郡中村の「王子庭」も搭載されている。 では何故、ここまで史料的にも明らかな「中村の王子庭(王子社)」が歴史の闇に消えてしまったのか。様々な要因が考えられるが、明治43年 9 月12日に、「大字岡 中同字走り掛の無格社王子神社」は「字長前寺の神明神社」と「字雨山の意加美神 社」とともに信達神社に合祀(大阪府全志等)されてしまったことがあげられる。しかし、戦後になってこの三社は岡中地区の要望で、岡中にもどり三社合殿で岡中鎮守 の神明神社、大楠のもとに戻したのである。戻した時に王子社と意加美神社も元々の場所にもどしていたら今日の事態は生じていなかっただろう。そんな中、各種地 誌類にも混乱が生じ、場所比定も様々となってしまった。(つづく)


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