―西氏の調査とその後の影響。問題は「字、走り掛け」の所在―
そんな中、現代の熊野古道ブームの火付け役となった名著といわれる一冊の本がある。戦後、熊野街道九十九王子の本格的調査に乗り出し、何度も足で踏査した結果をまとめた、西律氏(田辺市本宮町の郷土史家)の「熊野古道みちしるべ―熊野九十九王子現状調査録」(当初ガリ版刷り昭和58年、活字本昭和 62 年)である。西氏は当地の混乱した王子社比定のなかで、岡中の「王子庭」の存在にも気づかれていた。そして、泉南市に「王子庭」の所在地、「字、走り掛け」がどの地域なのかを照会し、市からは「岡中の樟を中心とする地域」という回答も得ている。(樟は「字長前寺」だが、「字走り掛け」が樟に近い地域であることに間違いはない。)しかし、「字走り掛け」の所在をなぜか馬頭観音付近と信じ切っていたことが原因で、市の回答に基づくその後の調査を行わなかった。そして「信達・長岡王子は一ノ瀬王子の別称に他ならない」という結論になってしまっている。氏が市の回答をもとに、(本当の)字走り掛け周辺の悉皆調査を実施していたならば、岡中の和絵図(と残されていた石祠)に到達していた可能性は高いと考えられる。(詳しくは「みちしるべ」31~33P参照)
その後の熊野九十九王子関係本は、この本を少なからず参考にして書かれたことにより今日の事態は確定してしまった。 一か所論を前提とした結果で、地誌類の多くが紀州街道牧野南口付近(馬頭付近)を比定地として長岡、信達、信達一ノ瀬、一ノ瀬と名称が入れ替わっているのが現状なのだ。さて、時は経て市自体が出す熊野街道マップ等にも、牧野の馬頭観音付近を信達一ノ瀬王子と表示する事態となったが、N氏をはじめとする郷土史愛好家や市民から批判が出るので、現在市は前に出ることなく、現地には「伝信達一ノ瀬王子」という地元の標柱が立ち、マップ等作製の主体は観光協会となっている。(つづく)


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