2024/08/04

泉南歴史トピックス1-⑥泉南市内の王子社問題(長岡王子、信達王子)


 ―長岡王子、信達王子、私の説明(続き)―

もう一つの信達一ノ瀬王子の方は、岡中に「王子庭」があって寺社奉行に届け出た元禄時代の史料が残っています。これは和泉国寺社覚にも反映しています。そして、明治初めの日根郡中村和絵図という村保有の立派な地図があり、これにもはっきり載っています。その後、明治 43 年の神社合祀で信達神社に合祀されましたが、今は合祀された三社一緒に村に戻され鎮守の樟の下で祀られています。こちらの方は史料的にはかなり充実しているといえるでしょう。そして決定的なことを言いますが、私の青年時代くらいまでその場所付近には合祀後の石祠があって、私自身がそれを毎日目撃していました。実は、阿倍野王子神社の宮司さんの長谷川靖高さんが書いた「熊野王子巡拝ガイドブック」という本に、「厩戸王子の石禿倉(いしほくら)は今は合祀先の、一岡神社の境内社「市杵島神社」として祀られている」と紹介されていますが、実際に一岡神社で見てみたら、私が見た岡中の祠もこれによく似ていたという記憶があります。

ただし、史料では「王子庭」や「王子社」と表記され、正直、信達一ノ瀬王子跡だという自覚はありませんでした。なに王子かは分からなかったのです。しかし、それをはっきりさせてくれたのが先輩Nさんの見つけた「修明門院熊野御幸記」の記述です。次長岡王子、次信達王子、次に雄山一瀬(金熊寺川)で禊をしたという記述によって、岡中の王子庭は信達一ノ瀬王子だとはっきり考えるようになりました。そして

約 36 年前に発見された岡中西遺跡は、これらのことを裏付ける重要な発見だと思っています。そしてもう一つ、岡中、山中を過ぎて雄山を越えれば「山口王子」です。この山口王子をうたった歌に「長岡、信達も過ぎぬれば、あの彼方是方の峰つづき、雲の幾重ぞ外に見えし、葛城山の山中、山口の王子に来けらし」(「宴曲抄」鎌倉時代成立)。次長岡王子、次信達王子、は修明門院熊野御幸記の記述だけではないのです。』というところだろうか。(本シリーズ終わり。平成 30 年に泉南市図書館でお話しさせていただいた内容を整理し、加筆したものです。)


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