(野出墓地の食野、唐金家の墓碑の真ん中にあった紋?の石)
(野出墓地から明厳寺方面へ)
野出墓地から町場の中心部にもどってきますと、ものすごく背の高い大きな木がある広い屋敷があります。「岸和田藩七人庄屋」の一人、佐野村 藤田十郎太夫家の屋敷跡です。 少し行くと広場に船の大きな舳先が置いてありました。
(黒水押(くろみおし)の船)
これは、「黒水押(くろみおし)」といって、泉州、佐野浦の船(木造船)の特徴で、保存されている黒水押から見てかなり大きな船のもののようです。泉州佐野浦黒水押は瀬戸内を超えて遠く五島、対馬に進出し、太平洋を東上して房総半島にも住み着いた中世から近世、近現代まで続く佐野漁民の伝統のシンボルなのです。(保存した方の思いが伝わってくるようです。)
(井源地蔵)
ちょっと寄り道して角を左(海側)に曲がると、わかりにくいですが地蔵さんがあります。「井源地蔵」といって、足の悪い人が地蔵さんにお願いしたら治ったといいます。(腰痛からの左足痛と痺れが残り、リハビリ中の私はお参りしたかったのです。)
ぐるっと回って明厳寺方面を目指すと、大きな庄屋門があります。(実は「ありました」。今は撤去済みで屋敷は工事中。)この明厳寺横の庄屋屋敷はもう一方の岸和田藩七人庄屋、佐野村 吉田久左衛門家の屋敷跡です。
(吉田久左衛門家の屋敷跡の右隣が明厳寺)
昇龍山明厳寺と号し、浄土真宗本願寺派。蓮如上人書といわれる六字名号が伝わっているとか。(この辺はスマホカメラの調子が悪かったのか、撮った写真が写っていませんでした。お許しください。「黒水押」の実物もたしかに撮ったんやけどなー。次の「大河内家」も「御旅所」も、そして「大将軍湯」もー。がっかりです。)
上の地図の画像の右下あたり、三角の土地の北角に「お旅所」の表示があります。春日神社のお旅所らしいです。
(大将軍湯(閉店中))
道を真っすぐ少し行くと、大将軍湯跡です。「国指定文化財大将軍湯」はこちらから。耐震化等の課題のため閉めていますが、将来は銭湯として復活し来街者に入ってもらう計画とか。佐野町場は「銭湯」の町で昭和40年頃は13軒もあったそうです。
少し行くと進路の反対の左に新川家住宅が見えます。左に寄り道して「日限地蔵」にお参りに。この地蔵は海南市の有名な「日限地蔵尊」を勧請したものとか。(最近老眼と乱視がひどくなりPCも疲れます。ここもお参りしたかった私に付き合わせて申し訳ありませんでした。)
大将軍湯跡のちょっと先、左手がもと「佐野町役場」跡、今は本町長生会館。
(もと佐野町役場)
0 件のコメント:
コメントを投稿