中之庄村 大光寺の開基大旦那は中庄新川家②
(このシリーズは①からお読みください)
さて、中庄新川家文書研究会の近藤孝敏先生作成による「元禄9年(1696)6月「開基由緒泉州中庄大光寺末寺帳」(「浄土宗寺院由緒書」巻上)にみる大光寺末寺一覧」に掲載されている末寺は次のとおりです。
(寺号) (大光寺との関係) (所在地、()内は現在)
1.薬師寺 大光寺支配 日根郡 中庄内田出村(泉佐野市中庄)
2.長福寺 中庄大光寺末寺 日根郡 日根(日根野)村(泉佐野市日根野)
3.西上寺 同上 日根郡 日根(日根野)村(泉佐野市日根野)
4.光明寺来迎院 同上 和泉郡 (下条郷)大津村(泉大津市本町)
5.上善寺 同上 和泉郡 貝塚(貝塚寺内)(貝塚市南町)
6.明福寺 同上 日根郡 東長滝村(長滝東番)(泉佐野市長滝)
7.永福寺 同上 日根郡 中長滝村(長滝中番)(泉佐野市長滝)
8.清福寺 同上 日根郡 西長滝村(長滝西番)(泉佐野市長滝)
⑨.正楽寺(勝楽寺)同上 日根郡 (信達庄)北野村 (泉南市北野)
⑩. 了安寺 同上 日根郡(信達庄)大苗代村(泉南市信達大苗代)
⑪. 惣福寺(宗福寺)同上 日根郡 新家(谷) (泉南市新家)
⑫. 清明寺 同上 日根郡 新家(谷)上村 (泉南市新家)
⑬. 浄福寺 同上 日根郡 (新家谷)高野村 (泉南市新家)
⑭. 地蔵寺 同上 日根郡(信達庄)童子畑村(泉南市信達童子畑)
⑮. 極楽寺 同上 日根郡(信達庄)葛畑村 (泉南市信達葛畑)
16. 大福寺 同上 南郡 (麻生郷)馬場村 (貝塚市馬場)
17. 常福寺 同上 南郡 (五ケ庄)蕎麦原(蕎原)村(貝塚市蕎原)
18. 弥勤寺 同上 南郡 (五ケ庄)塔原村 (岸和田市塔原町)
⑲. 光明院(日根山道正寺) 同上 日根郡(信達宿)中小路村 (泉南市中小路)
⑳. 浄岸寺 同上 日根郡(信達宿)牧野村 (泉南市信達牧野)
●㉑. 法然寺 同上 日根郡(信達庄)中村 (泉南市信達岡中)
㉒. 安養寺 同上 日根郡(信達庄)馬場村 (泉南市馬場)
㉓. 正安寺 同上 日根郡(信達庄)六尾村 (泉南市信達六尾)
㉔. 浄泉寺(光明山大覚院)牧野村浄岸寺末(大光寺孫末)
日根郡(信達庄)岡田村 (泉南市信達岡田)以上は、元禄9年(1696)6月の「開基由緒泉州中庄大光寺末寺帳」に搭載されている末寺ですので、これが全てということでなく、時代の変遷で増えたり減ったりしています。あくまで元禄9年(1696)6月時点の末寺ということになります。
大光寺(1678年までは大高寺)のある泉佐野市中庄地区は、近世岸和田藩領から外れていて、近世はじめから小堀遠州を祖とする近江小室藩領の飛び地でした。この中庄代官を累代務めたのが中庄新川家で、元河内長野荘開発領主の三善氏の庶流で、中庄に移り住んだのち三善(新川)盛喜のときに新川一門衆(佐野川、中庄、貝塚)に加わったといわれています。(堺の沢庵和尚と交友があり、泉州史で圧倒的に有名な武人・文化人で、家康にも喝見した「新川盛政」は盛喜の息子になります。)
この三善(新川)盛喜が大高寺の開基に資財を献じた開基大旦那で、開山は玄誉上人といわれる僧なのです。(※玄誉上人の出自は阿州三好氏といわれますが、近世中期から近代にかけて中庄新川家は元阿州三好氏の庶流と混同・誤認されることが多く、玄誉上人も同様ではないかとされています。)
なお、現在の泉佐野市湊地区(江戸時代は中庄村湊、その後、湊村)を開拓し、埋め立てて造成したのも中庄新川家であるとされています。
上記のように、泉南市(信達・新家等)の浄土宗寺院の多くが中庄大光寺の末寺(一部は孫寺)となっており、それぞれの村の歴史に少なからぬ影響を与えたことが分かってきました。大光(高)寺が泉南市の村の歴史に大きな影響を与えた事例について次からは「1.新家谷編」と「2.信達庄編」に分けて見ていきたいと思います。新家谷と大光(高)寺のかかわりについては、泉南市史通史編・史料編、日輪山清明寺代々記にもかなり登場し、触れられています。
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