2025/06/14

泉南歴史トピックス6 いよいよ大高寺末寺「牧野村 浄岸寺」のこと⑨

 ーいよいよ大高寺末寺「牧野村 浄岸寺」のこと⑨ー

(このシリーズは①からお読みください)

(上記書状は盛明が信達庄現地から大高寺旦那衆中、及び浄岸寺をはじめとした諸末寺に書き送った書状の下書き)

 新川盛明が大高寺長老追放事件で、直接信達庄にまで赴き村や末寺の動揺を抑えようとしたのですが、やがて信達宿周辺四カ寺(牧野村浄岸寺、中村(岡中)法然寺、馬場村安養寺、六尾村正安寺)は本寺不帰依という状態になってしまいました。信達宿周辺の寺の中で中心的な存在の寺は牧野村浄岸寺だったようです。このことは、信達庄岡田村の「浄泉寺」が「牧野村浄岸寺末(大高寺孫末)」となっていることや、当シリーズ③で記した新家上村の清明寺が大光寺末寺になるまでは、「浄願院(信達牧野にあった)の預り寺になっていた」という代々記95Pの記述からもうかがえることです。

 さて、この浄岸寺についてもかなり以前からの筆者の調査研究の対象なのですが、泉南市史に出てくるわずかな記載しか何も判明していません。私の本家の従姉は現在94歳ですが、婿の義従兄とともに今も田地に出るほど矍鑠としており、牧野の「浄岸寺」のことを聞いたことがありますが、岡中では「ほんみち本殿」のとなり(岡中側)の山(連続丘陵で二こぶになっている)を昔から「じょうがんじ山」と呼んでいると聞いています。この点をはじめとして、牧野の旧家で私がお世話になっているKさん他、いろいろな方に聞いても「浄岸寺」のことはご存知ありません。牧野村は市場村と「小栗街道(熊野街道・紀州街道)」沿いに連続して発達した村なのですが、牧野村の方で市場村の浄土宗「真如寺」の檀家になられている方が多いことくらいしか分からないのです。(K氏も真如寺の檀家とのこと。)

 さて、間違いなく寛永年間まで牧野村にあった「浄岸寺」はどこにあったのでしょうか?。これも私の今後の探求課題ですが、一つだけ有力な手掛かりを見つけました。ひょんなことからその記述に出会いました。それは、泉南市民歴史倶楽部の先輩、山中渓N氏が「泉佐野の歴史と今を知る会会報215~222号」(2005~6年)に連続投稿した論考「長岡王子をさがす」の220号の、牧野村周辺をくまなく現地聴き取り調査した時の記述(220号、10P下段)であり、「真言宗往生院」やその境内社の関係で記したくだりの文言を下記にそのまま紹介します。

「・・・・・天保十四年(一八四三)には鎮守天照大神宮社(神明神社)が、そして、前述の弁才天小社が往生院に存在したことがわかる。なお、浄岸寺はこれ(筆者注、泉州日根郡寺社覚のこと)で見る限り存在していたようであるが、向井俊生さんによると、古文書などの調査の結果、元禄の頃に廃寺となり、当時の檀家が二分し、一方は市場村真如寺(浄土宗)に、他方は当院に属した。その時、浄岸寺の本尊阿弥陀如来などを祀るため、現持仏堂(境内で最大の建物)が建立された。浄岸寺は、前述のT谷邸付近(筆者が変更。原文は実名)に、住吉神社に近接してあったとのこと。」と。

 それにしても、N先輩はすばらしい記録を残してくれたものである。そして、あえて「女性民俗学者」と呼ばせていただく程の業績を残されている向井俊生先生の過去の調査によって、浄岸寺をめぐる謎、牧野村の寺の謎(檀那寺の変遷)のほとんどが、この記録を追調査し、裏をとっていくことによって判明するのである。

※T谷邸付近とは、筆者が小学生の頃通った、旧信達第一小学校の小栗街道側ななめ向かい(和歌山側、現奥野呉服店の和歌山側)であり、住吉社や浄岸寺跡はT谷邸の裏あたりと思われる。(筆者追記)


 



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