浄土宗、本寺、中之庄村大光寺とは①
(上は法然寺墓地、下は明治初年の日根郡中村和絵図に「法念寺」と記される場所にあるやぐら部屋等)
筆者が住む和泉国日根郡中村(現、泉南市信達岡中)には、江戸時代の何時頃までか浄土宗の「法然寺」という寺があった。
「天保十四(1843)年、泉州日根郡寺社覚」には、『浄土宗、本寺、中之庄村大光寺、「今断絶」法然寺、除地寺平地七百六拾七坪、彌勤堂、鎮守、天照大神社』(法然寺関係の記述はここまで。)とある。
寺社覚が記すように、現在の岡中神明神社・大楠も法然寺の鎮守社であったことが伺える。七百六拾七坪(約二反半)という除地面積(年貢免税面積)は、法念寺跡や法然寺墓地、ちびっこ広場、老人集会所も含めて現在の所謂「ちんじゅさん」全体の面積に匹敵すると思われるのである。
さて、ここまでは以前からも分かっていたのだが、勉強不足だった私には「浄土宗、本寺、中之庄村大光寺」という寺が一体どこにある寺なのかが分からなかったのである。寺社覚には続いて「真言宗、本寺、山州嵯峨仁和寺、地蔵堂守躑躅山 林昌寺、除地寺平地壱万千四百坪、地蔵堂、鐘撞堂、「一名岡寺」「寛永十八年中興」、薬師堂、愛宕山権現社、石鳥居』とあり、現代の村寺、林昌寺の本山(本寺)は有名な京都仁和寺なので、浄土宗なら京都の知恩院のように有名な大寺という既成概念があったからだった。
「浄土宗 本末制度」はこちらから、続いて「本寺・末寺」はこちらから。
たしかに「天保十四(1843)年、泉州日根郡寺社覚」の他の村のところを見ると、浄土宗の寺のある村の浄土宗本寺はほとんどが「本寺、中之庄村大光寺」になっているではないか。中之庄村大光寺は案外身近なところにあったのである。(現在も浄土宗の寺が檀那寺の方はご存知の方が多いのでしょうけれど、岡中の場合は林昌寺だけですので知らなかったのです。)
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