清左のいいはなし 1
樽井から岡中までの大師街道
「岡中に過ぎたるものが二つあり・・・・・・」
200年以上前、岡中愛宕山の八十八か所巡りが開かれて、近隣の村々からも参拝する人が増えるなか、いつしかその道は「大師道」(だいしみち)と呼ばれるようになった。人々の信仰の対象となったその道も、都市化の進展で少しずつ景観は失われつつあるが今は私のリハビリ路でもある。遠くは阪南市の貝掛からも勧請の施主になっている家があることを思えば、当時の人々にとっては徒歩での往復の道のりも日頃の労働を癒す娯楽だったのだろうか。
もう3、40年前になるが、岡中の村では誰が言い出したのか、ある「落首」が村中に広がった。「岡中に過ぎたるものが二つあり、鎮守の樟と周藤苔仙(すどうたいせん)」。苔仙先生は日本でも有数の書家であった。そして何時からか各展を退会、無所属となり、以降はいわゆる僧の書を超越して、自ら「墨跡」を目指すことにこだわり続けた人であった。NHKのスタジオ102の司会を務めた髙梨栄一氏は、苔仙師の展覧会に寄せて『・・・・しかし間もなくその真意は知れた。それは、「僧侶は単なる書家にとどまっていてはならない。僧としての情念・人格と、書家としての技が、ともに混然としてあるもの、つまり墨跡でなくてはならない」という、先生の決意の端的な表現だったのである。』と綴っている。
その墨跡、苔仙先生が亡くなられてから何年になるだろう。今はお孫さんと、そのチャーミングな奥さんが寺を守ってくれている。今年(2024)の秋から金熊寺男里線から大師道まで、複合的大型商業施設の出店工事が始まる予定と聞く。第二阪和国道より山側の景観も大きく変わると思われるが、苔仙師のことを思いながら泉南の歴史仲間とともに「大師街道」を歩いておきたいと思っている。(下の画像は、筆者が10年以上前に水彩をはじめた頃の絵。)


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