泉南歴史トピックス2-①
鎮守の森は泣いて(いた)、「高城の宮」の謎
岡中神明神社とは
「鎮守の森は泣いている」とは、高名な宗教学者で哲学者の山折哲男先生が十年以上前に出版された本のタイトルですが、この小文は本が主題としているテーマとは直接は関係ありません。しかし、先生が本の副題とされている「日本人の心を突き動かすもの」を自分に当てはめてみると、それは今日まで私を育んでくれた「地域の豊かな自然」と「そこで暮らした祖先たちの霊」に対する畏敬や尊厳であり、そこに行けば何時も清々しい気持ちにさせてくれる「岡中神明神社、鎮守の森」にたどりつくのです。
今回のテーマの岡中神明神社とは、和泉国寺社覚(「和泉志」昭和32年、所収)にみえる日根郡信達荘中村字長前寺(中村は明治十七年に「岡中」に改称。現在、泉南市信達岡中。阪和道泉南インターを降りた村)にあった廃寺、浄土宗「法然寺」の鎮守社「天照大神社」とされています。寺院跡には小規模な墓地が残るのみで、神社は現在「岡中神明神社(祀神、天照大御神)」で地元岡中地区や泉南市では通称「鎮守さん」と呼ばれて親しまれ、大阪府の天然記念物でみどりの百選にも指定されている「大楠」の存在で知られる神社です。当神社は明治四十三年の神社合祀によって、字走り掛の「無格社王子神社」、字雨山の「意賀美神社」とともに、いったん金熊寺の信達神社に合祀されましたが、戦後、村(地区)から信達神社に要請し三社とも一括して岡中区に戻されています。市民の方や市職員の方まで誤解している人も多いのですが、「鎮守さん」は神社跡ではなく今も天照大神を祀る岡中神明神社なのです。
実は元々、この小文を書いたのは6年以上も前の、平成二十九年十一月のことで、私も参加していた「泉佐野の歴史と今を知る会会報」に投稿するためのものでした。ことの発端はその2年くらい前の平成二十七~八年のことです。会報に載せるための原稿には、「今日まで状況を見つめてきましたが、このまま放置しても進展は望めないと判断し、会報に小文を発表させていただき、泉州の歴史愛好家をはじめ、広く郷土を愛する市民の方々のご理解を賜りたく思った次第なのです。」としていました。
(表紙の水彩は、筆者が10年程前に描いて市の展覧会で発表させていただいたものです。)(つづく)

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