2024/09/19

泉南歴史トピックス2ー④ 高城の宮の謎

 

泉南歴史トピックス2-④

鎮守の森は泣いて(いた)、「高城の宮」の謎

―問題解決の端緒―

(以上のとおり「高城の宮と言われた」という表示は、今から約35年も前に市が表示したものであり、古くなった表示板を更新した平成23年当時の関係者には、関わりが無いことを先におことわりしておきます。)

前記で触れた、岡中の神明神社、王子神社、及び意賀美神社の合祀を記録した文献として、「大阪府全誌」の信達神社の箇所は、本件以外の郷土史研究でもよく見ているのですが、ある時、岡中の三社の数行前に「明治四一年二月五日(中略)雄信達村大字馬場字殿垣外の同(その前の表示と同じという意味、「村社」)高城神社(彦五瀬命、興津彦命、興津比賣命)」という記載を発見したのです。また、「大阪府史跡名勝天然記念物」の信達神社の項でも同様の記載がなされています。

さらに、「馬場」ということなら以前、別件で泉南市史に引用されている「雄信達村誌稿」という文献の存在を知っていたので、これを見てみたいという思いから、当該図書を探したものの、「泉南市図書館」には無く、唯一残っていた「府立中之島図書館」で閲覧した結果、当図書は昭和十六年に雄信達小学校(当時は国民学校)で作製されており、謄写版刷りのものでした。藁半紙刷りで炭化劣化が著しく障れば破れるかもしれない状態で、職員立会のもとで閲覧をしたのですが、やはり第六感が当たり「馬場の高城神社」(名称、所在地、祀神)が記載されていたので、その箇所のみを謄写していただくことができました。

(なお、「雄信達村」とは、合併して泉南町が生まれる前に、男里、馬場、幡代の三か村が合併してできた村であり、当該図書は泉南市にとって極めて貴重な文献史料と考えられ、今の時点で中之島図書館に依頼し、是非とも市として謄写、保存する必要があると考えます)。以上のとおり、本件の解決に繋がる文献二次史料を何とか確保することができました。

(このシリーズは2-①からお読みください。)(つづく)



 


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