2024/09/17

泉南歴史トピックス2-②「高城の宮」の謎

 

泉南歴史トピックス2-②

鎮守の森は泣いて(いた)、「高城の宮」の謎

問題の端緒、高城の宮??

問題の発端は、約8年前、インターネットで「岡中鎮守社」を取り上げているページを見ていると「古くは高城の宮と言われた」という記載を発見したことに始まります。びっくりして「高城の宮」というキーワードを組み合せて更に検索すると、当該ホームページだけでなく、十数個にわたるサイトで同様の表現で説明されていました。大楠には、毎年やってくる「アオバズク(ふくろうの一種)」がいることが知られており、新聞で取り上げられてかなり遠方からも写真撮影に来られるので、その方たちが自分のHPやブログで発信しはじめ、やがて旅行社のHPや泉南市役所のHPにまでも岡中神明神社は「高城の宮」と言われたと広がっていったのです。

私の家は先祖からこの地の百姓で、私自身岡中で生まれ育ち、仕事は大阪市内まで毎日出かけていましたが、今日まで一度も岡中を離れたことは無いのですが、岡中神明神社がむかし「高城の宮といわれた」とは、祖父母、父母、本家の叔父叔母、従姉、多くの親戚古老等、誰からも聞いたことが無かったことなのです。

まずは現場確認をと神社に行ってみると、神社正面の鳥居の右に平成二十三年作製の市教育委員会と区の連署による説明板があり、その文中に「古くは高城の宮と言われた」という記載がなされていました。「高城の宮」が「タカシロ」「タカギ」「タカジョウ」「コウギ」「コウジョウ」等何れの読みかも分からない中、すぐに親戚や古老の方たち、地区役員の先輩方等多くの方に聞いてみたのですが、どなたも全くご存知無い状況でした。それは皆さんが無関心からというより全く思ってもみない事柄故のことだと思います。それくらい地元の人間には思いもよらないことだったのです。

私は以前から郷土史に興味があり、地域の歴史や伝承に一応詳しいつもりではあったのですが、地元に全く伝承、口伝が残っていないというのもめずらしく、きっと新史料の発見でもあったのかと真相を調べることにしたのです。

(上下、2枚の画像は、約8年前にインターネット検索で出てきたページの例)

(このシリーズは2-①からお読みください。)(つづく)



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