2024/09/25

泉南歴史トピックス2ー⑥ 高城の宮の謎

 


泉南歴史トピックス2-⑥

鎮守の森は泣いて(いた)、「高城の宮」の謎

―調査に基づく結論

 以上、大阪府全誌での発見以降、別文献による反面調査や小字特定、並びに現地調査と聴き取り調査を行った結果、岡中神明神社に市教委と区が表示している「古くは高城の宮といわれた」との記載は、馬場産土社(うぶすなしゃ)と岡中鎮守社(ちんじゅしゃ)を取り違えた錯誤であると思われます。両社とも明治時代にいったん信達神社に合祀されており、馬場の社名が「高城神社」であったとの明確な文献史料が複数存在することから、以上の蓋然性は極めて高いと思われます。さらに、実地調査と聴き取り調査により

 ・「昔はこんもりとした森だった」こと、

 ・「大部分の木が過去に切られている」こと、

 ・「大楠が今も残っている」こと、

 ・「旧宮地の一部に老人集会所が存在する」こと、

 等々、岡中の鎮守社と全くよく似たシチュエーションにあり、地元の事をよく知らない関係者が、何らかの伝聞に対し、十分な反面調査をしなかった場合、両社を取り違えてしまうことは十分有り得ることです。私としては、「錯誤の蓋然性が高い」というレベル以上であると思っています。それは、説明板にある「昔は土塀に囲まれ」という点です。実は、私の本家は鎮守社のすぐ近くにあり、従姉は現在九十歳を超えていますが、もの心ついた頃から今日まで、鎮守社前の墓は土塀で囲まれてはいたが、鎮守社が土塀に囲まれていた事実はないと断言しています。一方、馬場での聴き取りでは、多くの付近住民から「宮さんの杜は土塀に囲まれていた」という説明を受けているのです。

(冒頭の画像は、筆者が水彩をはじめた10年くらい前の絵です。)

(このシリーズは2-①からお読みください。)(つづく)


 


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