2024/09/28

泉南歴史トピックス2―⑧ 高城の宮の謎 

 


泉南歴史トピックス2-⑧

鎮守の森は泣いて(いた)、「高城の宮」の謎

その後の経過 (1)

本シリーズの冒頭、2―①で『実は元々、この小文を書いたのは6年以上も前の、平成二十九年十一月のことで、「泉佐野の歴史と今を知る会会報」に投稿するためのものでした』と書きましたが、区切りをつけた一年後においても、市教委は「説明板」による情報発信の保留や訂正等何らのアクションも起こしませんでした。原稿で『今日まで状況を見つめてきましたが、このまま放置しても進展は望めないと判断し・・・』と書いたのはそのためでした。しかし、結果としてこの小文が「会報」に載ることはありませんでした。私が掲載依頼しなかったからです。

それは二つの理由によるものでした。一つは、郷土史研究紙である「会報」に市教委の怠慢を載せることへのためらいからです。郷土史研究についての内容ではあっても、これを伝えることが目的と受け取られることを危惧したのです。二つ目の理由は、岡中か馬場かは別として「高城の宮」「高城神社」の読みが判明していないこと、言い換えれば、なぜ馬場の産土社が「高城神社」なのか、「高城の宮」と言われたのかの問題が自分の中で解決していなかったからでした。

(上の画像は、馬場のM氏に宛てた礼状の控え)

(このシリーズは2-①からお読みください。)(つづく)

 


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